
話の肖像画 歌すっきやねん
産経新聞5/7〜16日掲載1
国民的アイドル集団「モーニング娘。」(モー娘。)のプロデューサーで歌手のつんくさん。モー娘。は5日に保田圭が卒業して4人が可加入、彼の手腕がますます目が離せなくなっている。そんな例のない多才な活躍の背景には、客観的な分析と歌好きな少年時代から変わらない豊かな感性があった。
ーープロデュースする立場として、何をアピールしていきたいと?
つんく 僕の音楽人生、まあ、十年から十五年ぐらいの中で、ヒットアイテムというかキャラクターも含めて愛されていくというものを手探りで見つけてきたんですよ。いくつかの(ヒットするための)感覚的なカテゴリーというかフォーマットみたいなものはやっぱりあると思う。僕が何かをアピールするというより、僕が作りたいものをモーニング娘。に限らず、ソフトというか、何かアーティストの持っているものを通して、どんな形でアウトプットするかっていうのがポイントです。
<モーニング娘。は平成9年、テレビ東京系のオーディション番組で落選した5人で結成。今月、6期メンバーの加入で15人になった。今秋、安倍なつみ率いる「さくら組」と飯田圭織率いる「おとめ組」に分かれての活動が、本体と平行して始まる。つんくさんは楽曲だけでなく、衣装、振付にいたるまで全面プロデュースを手掛ける>
ーーアウトプットできた具体例は?
つんく パチンコやってるときにかかると、いい曲だなあと思うとか。その時に、だって五木ひろしさんが歌っているんだもんと思えるような曲(五木のプロデュースも手掛けている)。逆に、テレビを見ていて、ずらっと並んでモーニング娘。が歌っていたとき、チャンネル変えずに聞き入るという曲ですね。
ーーご自身をアピールする、ということではないと
つんく 僕が歌を作って、次は歌う人がモーニング娘。であるのか、後藤真希か松浦亜弥か、はたまた桜庭裕一郎なのかということ。その人たちなりのポジションで闘っているわけですよ。僕がアピールしたいものというよりもね。刺激は与え続ければ、慣れていく。辛いものだけではおいしい料理は作れない。ポイントはそこらへんにあるんですよね。
<後藤真希は平成11年、第3期メンバーとして加入。従来型アイドルにはないクールな魅力で大ブレイクに貢献し、昨年、卒業した。松浦亜弥は”モーニング娘。の妹”としてデビュー。久々の大型アイドルとして注目を集めている>
ーー単にヒットを目指して刺激を与えているだけではないと?
つんく そうです。みんな一瞬、辛い物を求めたりとかするから、僕らもそこらへんはコントロールしますが、やっぱり、”わびさび”みたいなものがすごく大事になってくる。
ーーわびさびですか?
つんく かわいいなー、きれいだなーでは一度目はあるけど、二度三度はない。やっぱり色々な味があっておいしくないと飽きられる。今の時代、CD買おうと思うか、音楽を聴こうと思うかは、ソフトコンテンツ自体に魅力があるかどうかです。これはすごく繊細な部分なんですけどね。モーニング娘。のメンバー構成とかが、わびさびではない。わびさびは、一曲一曲の中にあるんですよ。「LOVEマシーン」にも、わびさびが成り立っている。チャーシューもネギもシナチクも乗っていてこのラーメンは豪勢だけど、僕が作ったのはダシなんですよってこと。そこんところに、わびさびがあるんですよ。
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ーーモーニング娘。はオーディション落選組の5人が集まってスタートし、大きな存在へと成長しましたが、最初からこの人気を予想していましたか?
つんく そのころ、ちょこちょこっと曲を書いて下さいって頼まれていたアーティストもいたんですけど、僕にはシャ乱Qがあるし、基本は断ってたんですよ。自信もないっていうか、ちょっと、もったいない感じがして。自分が擦り切れるような恐怖感もまだあった。「ASAYAN」(テレビ東京のオーディション番組)が始まった当初は、僕はもう、かかわらないつもりでやっていたんです。
ーーそれが、ここまでみっちりかかわることになってしまった。
つんく はたけ(シャ乱Qのギタリスト)が乗り気だったし、テレビ東京のレギュラーを一つ持ったつもりで、ナインティナイン(ナイナイ=同番組の司会コンビ)とのコントでもやっていこうかなという程度でしたね。ナイナイはスタジオにいて、僕は別の場所でビデオカメラを回されている。その状況でこのコメントを言ったら、ナイナイがスタジオで「あの人アホやな」って言ってくれるかな?とか、正直言うとそういうことしか考えてなかった。だから、最終選考の手前ぐらいまでは、ほんと面白がってコメントしてました。「これおもろい」って言ったら絶対みんな面白がるだろうなとか、「こんなやつに才能あるんや」と言ったらびっくりするだろうなとか。
ーーウケならいだったんですか?
つんく そう。5人に絞り込むまではね。最終的には番組的に欲しいやつひとり入れとけよ、という感じぐらい。「この子はお茶の間的に、おもろいよな」とか、「24歳でアイドルしたい言うてるで」みたいだった。
ーーそれがだんだんと
つんく 最終的に「グループ名決めましょう」みたいな流れになった。やるんだったら真剣に、握手会やって手売りで5万枚売ったらデビューさせようって話になって、会場借りて、握手会して・・・。そのころはまだ、年末に紅白歌合戦に出て、その日に「解散します!」と言ったらカッコいいよなって思ってたんですよ、僕は。当時はシャ乱Qもあるし、いつまでもこの子たちに正直、かかわってられないし、人気爆発するなんて思ってもなかった。この子たちにとっても、この一年がいい青春だったなって言えるぐらいが絶対いいと思った。
ーーところが、予定は大きく”狂って”・・・
つんく 芸能界は厳しいってことも含めて、ダメでも、いいところにお嫁さんにいければいいよなって思えるところから始まった。「モーニングコーヒー」っていうデビュー曲ができたころにはまだ、「次のシングルを出して、11月には紅白決まって、12月31日解散」みたいな、プチ・ヒストリーを自分で勝手に作ってたんですよ。でも、これを彼女たちは全部クリアしていってしまった。解散なんていってられなくなったんだよね。
<つんくさんがプロデュースする女性グループ「ハロープロジェクト(ハロプロ)」は、モーニング娘。をはじめ松浦亜弥、後藤真希ら40人を越えるまでに成長した。昨年は、小学生を対象にその予備軍ともいえる「ハロープロジェクト・キッズ」を募集、2万7958人が応募し、15人が選ばれた>
ーーハロプロは急速に拡大していますね
つんく ハロプロはその時々で、どうかな、どうかなと探りながらやってきた。でも、わかりやすい表現で世の中に音楽を伝えてきたと思う。あとは、もう少し時間をかけて、ちゃんと活動のリズムをとれる状況をつくりたいね。キッズは、今の小学生は普通の子も当たり前のようにリズム感があるし、モーニング娘。を見て育っているからダンスもできる。彼女たちは生きているスピード感が違うし、吸収力はモーニング娘。より早い。世代も変わるし、違う役割を担っていくでしょうね。
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ーーモーニング娘。の成長ぶりは予想外だったそうですが、彼女たちは”どこ”で育ちました?
つんく ライブが大きいですね。モーニング娘。は、訓練していない本当の素人がいきなりステージに立ったわけです。僕がリハーサルから一日中、立ち会って教え、経験させた。そうすると次に加入したメンバーは先輩たちのその姿を見て覚える。「ライブは、こうやってつくるものだ」というフォーマットが、先輩から後輩へ受け継がれていくんです。そしてコンサートツアーが訓練になる。3ヶ月のツアーをあyって帰ってくると、短期間でも新人の経験値がぐっと上がっているんです。
ーー地方ツアーも多いですね
つんく 経験値が上がると、プロとしてのエンターテイメントになっていくんですが、ファンにとっては、あとちょっとで手の届く身近な存在にしておきたい。行ってない県庁所在地もありますが、こんなに近くにまで来てくれたという感じを大事にしたいです。
ーー童謡のCDをリリースするなど、従来のアイドルグループにはない展開も多いですね
つんく 童謡やフォークソングは、ガールポップのフィルターを通してヒットさせようというより、彼女たちが音楽を勉強していく過程で、原点を少しでも分かっていようーということ。そこに「実は、こうなんですよ」といえるような深い仕掛けはないんですよ。
<つんくさんのプロデュースによって「ザ・童謡ポップス」や、フォークソングを集めた「FOLK SONGS」シリーズがリリースされている。ほかにもテレビ番組やイベントなどのイメージソング、「モーニング娘。のひょっこりひょうたん島」など多彩>
ーーこうしたプロデュース作業の原点、発想の源は?
つんく 僕はいつも、ビートルズってすごかったなって、何に関しても思うようにしているんです。携帯電話もパソコンもない時代に、すごい数の世界ツアーに行き、アルバムも毎年作って、偉い!そうすると、やっぱり負けてられないなって思うんです。
ーーライバルはビートルズ?
つんく ポール・マッカートニーはマイケル・ジャクソンと組んだりもしている。ポールもジョージ・ハリスンも何度か、人をプロデュースすることをやりかけているんですよ。例えば「ジョン・レノンが今、生きてたら、こういうのを面白がってやるやろな」と、常に自分の中で置き換えて考えてみるんです。
ーービートルズでなきゃいけない理由は?ローリング・ストーンズでもコンサートツアーの数はすごいですよ
つんく ストーンズは、やはり自分たちだけまっしぐらな感じなんですよ。僕にはビートルズは庶民派で、手に届く感じがしますから。
ーーそうやって置き換えて作業した結果の一つが、モー娘。に?
つんく これも結果、売れて、あんなにでかくなったから言えるんでしょうけど。最初はほんとにシャ乱Qの”衣装”の一つ程度。僕の中ではシャレみたいな存在でした。当時だったら、例えばミスチルの桜井(和寿)君とかに「つんくさんが、またバカなことやってるよ」って思われたら、ラッキーだし勝ちやな、みたいな感覚だったんですよ。
ーー面白がってもらえればいい?
つんく B’zの松本(孝弘)さんとかがいい意味で、「オマエ、バカだよね。ほんとふざけてるよな」って言ってくれたらいいかもなって、それくらいのものでした。
ーー「よくやるわ」みたいな、評価でよかったと
つんく そうそう。「あいつも忙しいのにようやるわ」って言われたら「まぁええか」みたいなのが入り口でした。それが、ほんとに忙しくなってしまったんですけどね(笑)。
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ーーつんくさんは子供のころから歌うことが好きでしたか?
つんく 誰にでも小学生くらいの時には、自分で得意だなと思うものが何かしらあったと思うんです。その中で歌に関しては、他人が「恥ずかしい」とか「できひん」とか言ってることの意味があんまりわからなかったんですよ。「なんで嫌なんやろ?」と思ってた。今思えば、そこに差があったのかなと。
ーーそれは大人になっても変わらなかった?
つんく ライブハウスでずっと歌ってきたときも、ギターやドラムに関しては他のバンドを聴くと「ああこいつと組んだら負けるやろな」って思う、うまいやつが正直いた。けれど、ボーカルに関しては、おれよりうまいなぁと思うやつに、あんまり会ったことがなかったんですよね。当時は売れてなかったから、狼少年みたいにならないよう、声に出しては言わなかったですけど(笑)。ジュリー(沢田研二)の歌を聴いて、うまいなとは思ったけど、バンド系のアマチュアでは、ほとんど会わなかった。だからオレみたいなやつが売れないとおかしいよな、とはちょっと思ってた。そのころ出会ったアマチュアの中では、ミスチルの桜井君と同じステージに出たときに、「こいつ、歌うまい」と思ったのがT・M・Revolutionの西川貴教くらい。結局、二人は売れて、「ああ、やっぱり歌うまいやつは売れる」と。
<つんくさんんは学生時代から大阪でバンド活動をスタート。昭和63年、アマチュアバンドの「シヤッターズ」「乱」「QP」のメンバーが集まり「シャ乱Q」を結成、ボーカルを担当。平成4年「18ヶ月」でメジャーデビューした>
ーー具体的にプロになろうと思ったのは、いつごろですか?
つんく 小学生のころからずっと、目標は”芸能人”っていうのはありました。
ーー歌手じゃなくて芸能人?
つんく そのころ西城秀樹さんが所属レコード会社対抗運動会に出ていて、走り高跳びで150センチぐらいを跳んで優勝したんですよ。僕は中学二年くらいの時に陸上部で走り高跳びやってたんですけど、165センチくらいは跳んでた。で、この運動会出たら、オレ1位になれるなと。
ーーなるほど(笑)。その後、自分がプロだと思った瞬間は?
つんく シャ乱Q時代に何度か思いましたね。「シングルベット」とか、自分の曲が売れるかどうかっていうのは全くわからないまま、じぶんだけを信じて作って結果的に売れていった。「My Babe 君が眠るまで」という曲はミリオン(100万枚)は売れたんですけどヒット曲に挟まれてた。その年に紅白歌合戦で歌ったのは結局「ズルい女」だったし、うずもれたんですよね。でも、「My Babeー」を書いたときは、「オレは作家やな」と思ったですね。
ーー小学生のころから夢見たとおりの道を歩んでいるようですね。
つんく いや。18歳ぐらいでデビューして、23歳ぐらいで「きゃーっ」とひと山作ったら、もう27歳には引退しようと思ってたんです。そして、今の年齢では子供3人ぐらいいる予定だったんですけど・・・。
ーーかなり違いますね(笑)
つんく 今の自分は想像もつかなかった(笑)だから常に計画は立て直すんですけど。今は、お笑い、バラエティー、音楽の部分も含めた総合的なひとつの輪になったものを作りたいなと思う。音楽では、バンドというポップスも含めた軽音楽な感じのするエンターテイメントを作りたい。そして、本当の意味での総合エンターテイメントは映画ですよね。キューを振ることがプロデュースなのか、一歩引いてトータルで見るのがプロデュースなのか具体的に考えていないですが、映画は表現としての可能性がすごくあるなと思っています。
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ーーバンド「シャ乱Q」で活動し始めたころの手応えは?
つんく 売れる自信はあったけれど、実際、すごく売れたなあと思う。それも、あの時代の中に、ねじ込んで売れたというのが実感でしたね。シャ乱Qよりも数字では売れてるバンドはあったけれど、浸透の仕方が違った。当時、バンド系では、ミスチルやスピッツが売れてたけど、街を歩いていて顔を指さされる率は、シャ乱Qの方が良くも悪くも、すごいってよく言われた。ヒットというのは、そうやって世の中に染み込んでいくんだなあ〜って思いました。
<シャ乱Qは平成6年に出した「シングルベット」がロングセラーで約125万枚を超え、人気が急上昇。翌年には「ズルい女」「いいわけ」とミロンヒットを連発した。平成12年12月から活動休憩に入った>
ーーシャ乱Qlは、今のつんくさんにとってどういう存在でした?
つんく 自作自演で数年間、駆け抜けたからね。でも、その経験値があったからこそ、今につながってる。プロデューサーとして話をするにしても、ステージの上に立って客席に向き合ってきた経験は大きい。4月から「ポップジャム」の司会をしているけれど、アーティストにとっては番組中、演奏が終わってからトークに入った方がいいよなとか分かるし、注文も出せる。売れたからよかったともいえるけど、ステージでどう動いてアピールすればいいか体験しているのが財産。こういう感覚は時代やアーティストが変わっても、基本は同じだと思うんですよ。
ーーもっと歌いたいとは思わない?
つんく 一生のうちにあと何度かは、公の場で歌いたいですね。シャ乱Qのいつかは活動を始めるはずですし。
ーー放送中のドラマ「ムコ殿2003」に出演していますね。つんくさんにとって演じることとは?
つんく 僕は、つんくという芸名で活動している時点で、もうなんかずっと、つんくを演じてる気もするんです。ただ、ドラマに関して言うと、正直、楽と言えば楽。サボる意味の楽ではなくて。いつもなら自分を振り絞って物を作り出しているじゃないですか。ドラマの現場は、行くと”お皿”が用意してあって、そこに乗っかればいいんですよ。そうなると、人はこうやって動くんだなとか客観的に見られる。あの人はタイムキーパー、あの人はテロップ入れる人と観察しながら。でも僕は、セリフを言って芝居だけすればいい。終わったら、いつもみたいに編集に行かなくてもいいわけですよ(笑)。あとは放送されるのを待てばいい。
<テレビドラマは平成11年、「セミダブル」で初出演。いま放送中の「ムコ殿2003」では、長瀬智也演じる桜庭裕一郎の所属事務所の社長役。ほかに映画にも出演している>
ーー撮影現場で得るものは?
つんく 音楽の現場とは全く違う役者同士の話ができる。長瀬さんとか、違う畑の人と、普段と全然違う雑談をしてみたり、スタッフやプロデューサーの栗原美和子さんと、最近のドラマの感想を話してみたり。演じている以外にいろんなことを楽しめる。まあ、毎日こんなんだったら、僕には絶対よくないんですけどね。逆にテレビの現場にいると、タレントさんは毎日、皿の上に乗らないといけない、すごく大事なポジションだなと思えるんです。
ーーいずれ作りたい、と言っていた映画の方は?
つんく 今年は後藤真希主演の映画「青春ばかちん料理塾」があって、プロットや音作りに参加してます。映画はいくつかプロデュース的な立場で作りましたけど、このほかの予定は具体的にはまだないですね。
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ーーつんくさんの手掛ける楽曲の数は検討つかないほど多いですね
つんく いくつか同時進行で作っています。モーニング娘。の曲をやっていて悩むと、ちょっとこっちに置いておいて、「ミニモニ。ミニモニ。・・・」と頭を切り替えたり(笑)。途中で、「あっ、やっぱりこのフレーズだとモーニング娘。の方がいいかも」と思い付いて、元に戻ったり。一曲だけ作れっていわれるより、何曲か同時の方が意外と自分を活性化させられるんです。
ーー普段、同時に何曲ぐらい?
つんく 常に十数曲かな。全くデモ(試作)の段階のものや、歌詞入れたもの、手直し中もの・・・。それらが並行しているわけです。
ーーそんなに抱えたら、普通にパニックになりませんか?
つんく 阿久悠さんも相当たくさん詞を書いていて、僕も「ほんまに書いてんのかな?あの数はありえない」と思っていた。でも実際、自分も曲をたくさん書くようになって、やればできると思ったし、僕一人だけだったら無理でしょうが、今はスタッフがスケジュールを管理してくれますから。でも、始めたころは、正直、すごく時間がかかりました。やっぱり訓練ですね。
ーーシャ乱Qのころは?
つんく シャ乱Qが売れたころは、本当に忙しいと思ってた。当時は、今もそうですが、SMAPが一番人気で、ドラマに出て、歌番組もバラエティーにも出て、すごいなぁと思ってた。けれど一方で、僕らもドラマや映画に出て歌番組やって、ライブツアーもやって、さらに曲も作ってるもんな、おれらもそれなりにすごいなーって思ってた。
ーーその当時で何曲ぐらい?
つんく ボツになる曲も含めて年間15曲から20曲で、たくさん作ってるなと思ってました。プロの作家とおれらアーティストは違うもんな、とか勝手に言い訳つけて。それが知らない間にプロの作家のペースになっていた。昔は、「おれたちはロックだから曲は書きたいときに書くんだよ」なんて言ってたけど、今はそんなこと言ってられない。作曲のための日を作らないといけなくなった。初めは三日間くらいで一曲作ってたんですけど、それがだんだん二日になり、一日に二曲作るようになってきて・・・。
ーー1日二曲!?
つんく でも、自分らでステージに立って歌っているわけじゃないので、その分の時間は救われています。レコーディングもあのころは僕らで全部演奏してたけど、今はスタジオミュージシャンもいる。時間の密度が違うんです。
ーーこれまでに作った曲たちを、全部覚えていますか?
つんく 覚えていますね。飲みに行って騒いだことなんか全然覚えてないのに(笑)。僕以上にモーニング娘。のメンバーたちはもっと覚えてますよ。「つんくさん、だってあの時こう言ったもん」とか。僕がぽろっと何気なく言ったことを、ぱこんと覚えてる。そのときは「あっ、そんなん言うた?ごめんな」って言うんですけど、きっとそのときは僕が追い込んでいるんですよ。アーティストの何かを引き出すために。
ーー作曲するときには、常にライブを想定しているそうですね。
つんく 歌は生きているもの。ライブを必ず想定しています。最近はカラオケで歌う場面も考えるようになって、例えば、4、5人の仲間で歌いにきていて、一人抜けがけして歌うような曲とか、シメに歌いたい曲とかを頭の隅に入れて作ります。でも、それだけだと地崩れする。結局、歌手が現場で歌っているのを想定するのが一番正しいんです。
ーー曲づくりのアイデアは?
つんく ヒントはそこらじゅうにある。音楽自体から感じることも、人と話すときにもある。あとは小学生から大学生のころまでに聴いた曲ですね。ご飯を食べるとかプールに行くのと同じように、音楽を音楽と意識せずに聴いた曲です。ピンクレディーやフィンガー5を聴きながら、あの曲はいいとか好きじゃないとか子供なりに評価してた。その頃の驚きや感動が発想の源になるんです。
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